理論をたてる人がいて,実験を考える人がいて,実験をする人がいて,解析する人がいて,...とたくさんの共同研究者がいて,それぞれ作業分担をして,NatureやScienceに論文が出たとして,この研究をちゃんと理解しているのは誰なんでしょう?
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理論をたてた人は,どうやって検証したか分からなかったりして.
実験をした人は,何の理論を検証したのか分からなかったりして.
解析した人は,何を解析したのか分からなかったりして.
実験を考えた人は,...全体を把握したことになるのかな.
実験を考える人は,理論(仮説)を理解して,理論を具体的な実験(作業仮説とか)に落とし込む必要があるし,計測方法を知らなければ実験は立てられないから,どの様なデータが出てくるかも理解している.解析は実験設計と表裏一体だから,もちろん解析は理解している(基本的に,解析方法が決まらなければ実験設計できないし,逆もそうですよね).
それとも,良い読者が一番その研究を分かった事になるのかな.
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話は戻りますけど,
もし,研究をした当事者は誰も全体を分かっていないのに,論文だけが出ているとして,それこそ科学ってすごいなと思う.だ〜れも科学のエッジ(先端)に辿り着いていないのに,誰もがそこからの景色を見られちゃうという.
でも,やっている自分が理解してない研究なんて,イヤだけどね.だって,正直なところ,科学に貢献したくて研究をしているのではなくて,自分が知りたくて研究してるんだから.科学への貢献は,飯の食い上げにならない程度にがんばります(←今はまだ,これに必死w あー,笑い事じゃない..).
上記,ヨーロッパでは,「分からないことがあれば,分かる人とコラボレーション(共同研究)して,作業分担して研究を完成させる.」という話しを聞いて思ったこと.
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