2010年7月9日金曜日

十七条





ブラジルとオランダの試合は,態度がせわしなくてうまいとは思えなかったけれど,
ジャッジの基準は一定だったし,公平に見えました.
ちゃんと適切な場面でレッドカードも出していましたしね.
レッドカードを出すのはヒジョーーに勇気がいります.

審判も予選グループの試合で笛を吹き,
評価の高かった人だけが決勝トーナメントの試合を吹き,
...とトーナメントを勝ち上がっていくんです.

決勝の舞台の一員に残れるなんてすごいですよね.

##

サッカーは,審判の仕事もおもしろいです.

試合をおもしろくするためには,
選手ががんばらなければならないので,
審判にできることはありません.
ただ,審判がゲームをつまらないモノにすることはできます.

ワールドカップやJリーグでは,事前に選手の情報も入れているでしょうが,
僕が笛を吹いたレベルでは,そこまではしませんでした.

試合を通して,選手とコミュニケーションを図りながら,
ジャッジしていく.
コミュニケーションをしながらその試合でのルールの基準を作ったり,
こちらの基準に選手を誘導したりする感覚が
おもしろかったです.

毅然とした態度でジャッジをする必要があるけど,
それが過度になって威圧的な態度だと失敗する.
サッカー界では,中高校生ですら,
威圧的な態度に屈するような選手はいないから,大抵は反発される(苦笑)
そのへんのさじ加減がおもしろかったりする.

また,毅然とした態度っていうのをどのように表現するか.
例えば,警告(イエローカード)を出すにしても,
選手に走り寄って,ハァハァ息を切らしながら出しちゃ,不格好.
選手を自分の方に呼んで,
選手にもベンチにも観客にもわかるように,
整然とカードを提示する.

こう書いてしまうと,マニュアル的だけど,
仕草やふるまいが相手の心理に影響を与えることを
意識しておかないと,マネジメントは難しいですよね.
日常生活に比較したら,
比較にならないほど興奮しきった自分と選手たち,ベンチ,観客


いるわけですから,

制御するのはなかなか頭を使う作業です.

他に,審判の仕事と言えば,

とにかく走る.選手並みに.
選手とは違い,接触プレーがないとはいえ,
トレーニングしてなければ無理でしょうね.




FÈDÈRATION INTERNATIONALE DE FOOTBALL ASSOCIATION
のロゴが記載された黄色と赤のカードが,少し土に汚れたまま,
研究室の本棚に置いてあります.




2010年7月8日木曜日

思慮,イビチャ・オシム

  
この人が倒れたことで,(Jリーグは別として)日本代表のサッカーは少なくとも4,5年は後戻りしてしまいました.残念.でも,この方はいまだに日本が好きで,雑誌などのメディアには頻繁に登場してくれている.

この人の発言が,いつも思慮深く感じられるのはなぜでしょうか?
思慮深いからでしょうか?

公共広告機構の脳卒中のCM.
各所抜粋.


どうしたいのかを自分で考え,選ぶと言うことだ.
生きるのか,そうではないのか.
選択肢は二つだが,事実上,答えは一つだ.

治りたいのか?
もし治りたい,負けたくないのならば,
ゆっくりではあっても,前進することだ.
まず,生命が助かったことで,
そのあとの努力も可能になったということだ.
サッカーと共通の事柄があるとすれば,
努力を続けるには,
前進しているという実感を得ることが大切だ.
それによって,前進できる.
それによって,自分自身を引っ張っていける.
そういう感覚が毎日少しでも得られれば,
努力を毎日することができる.
良くなっているという実感,サインが,
前進するためのパワーであり,
道しるべになる.
モチベーションになる.
私の場合は,そうだった.




 

ほんとうに多くの日本人が
ストレスやプレッシャーにさらされている.
仕事でも生活でもリラックスできていない.
私の知っているだけでも,
サッカー選手のプレッシャーは言うまでもなく,
それを記事にする記者たちも,
それにみなさんメディア関係者も
みんなが,この仕事を失敗したら
明日はこないかのように,
追い込まれているようだ.

多少の挑戦に失敗しても明日の心配を
しなくとも良いように,リラックスできる社会にする.

人間は,勝つこと,成功することだけを
考えるべきではない.
まず,生きること.



 

それは,より自由に生きるということだ.
「他人よりも優れていなければ」
というのは不要なプレッシャーだ.

日本人の多くは,自分の意見を
公表することを恐れているようだ.
自分を表現することは非常に重要なこと.
何か意見があっても,
言ってもいいか考えた結果,言わない.
それは社会的なプレッシャーなのか,
日本の教育の問題なのか.
いずれにしろ,自分のアイデアを
活かすことができないのは非常に大きなストレスだ.

もし,まったくエゴイストとして生きるならば,
ストレスも減ることだろうが,
人生とはそういうものではないはずだ
自分だけでなく,他人も自由に生きることが
できなければならない.




 

何が大事か?
もし生まれてしまったからには,生きることだ.
生き残ることだ.
もっと良い人生を生きることだ.
一度生まれてしまったからには,
後戻りはできないだろう.

客観的にならなければならない.
できないことを期待すると,
期待される方もする方も,
大きなストレスを抱えることになる.
すると楽しいはずのサッカーが
ストレスから苦しみ,拷問になる.
世界王者へのストレスを感じる資格があるのは,
ブラジルやスペインだ.
日本がストレスを感じる必要はない.

日本代表は,美しく,かつ効果的なサッカーができる.
その力を十分にもっている.



2010年7月7日水曜日

ワールドカップ日本代表傍観記


ワールドカップ,日本代表の試合を,かなり退屈に,少し喜んで,やっぱり残念で,ちょっと悲しく見てました.

ワールドカップで優勝したチームのサッカーは,とても影響力をもつ.そのあと,いろんなチームが真似をするし,スタイルの流行を作る.もちろん,チャンピオンズカップで優勝するチームだってそうだし,日本の高校サッカーで言えば,高校選手権で優勝したチームのサッカーだってそう.だから,おもしろいサッカーをするところが,優勝してほしいと願ってる.

監督だった岡田さんは,ベスト4と言うばかりで,やりたいサッカーがわからんかった.「ベスト4」って目標だけでは,どんなサッカーをするかというビジョンは全く見えない.八百長してでもベスト4に行きたいかって聞かれたら,そうじゃないと答えるはず.サッカーにプライドを持っている人たちが,「サッカーをして」勝ちたいはずで,じゃぁ,次の問いは,「どういう」サッカーをして勝ちたいかって事だったと思う.科学の世界で,ただただNatureやScienceに掲載されたいっていうのでが,幼稚な目標だっていうのと同じだと思う.オシムさんの時は,どんなサッカーをするのか言葉で表現してくれて,そして試合でもそれを表現してくてたから,とても楽しかった(やっているサッカーが良いサッカーだと個人的に思ってたことも楽しかった要因ではある).

で,結局,ワールドカップでの舞台で日本代表が表現したのは,忍耐を強いるサッカーだった.攻撃では自分たちの特徴であるパスワークを封じて,個人技頼みにしてしまったから.本田と大久保と松井の3人の誰かが個人で何とかやってくれっていう,それだけだった.3人の連携で崩すってわけですらなかった.完全に個人頼みで,無茶な頼みを頼まれたのが3人.

攻撃にチームとして意図がなくて,運頼みだったから,ゴールが入る予感や試合展開みたいのがほとんど感じられなくて,とても退屈だった.試合を見ていて,寸分先も予想できない展開てのはつまらないモンだなぁと.次の朝のニュース速報で結果だけ見ればいいような試合でした(試合内容を見ないとそれは分からないのですけど).

象徴的だったのは,パラグアイ戦,川島からフィード(攻撃陣にボールを供給すること,必ずしもパスではない,と定義する)が,1-2回をのぞいて,全てパントキックなどロングフィードだったこと.ロングキックをして,それを拾うなんてのは,ほとんど運頼み.

悲しかったのは,このサッカーの延長に,前にやってた日本の特徴的なサッカーがないような気がしたから.こんなサッカーが日本でもてはやされて,流行るようになったら最悪だなぁと思ったから.正直,オシムさんが倒れてからというもの,超保守でナイーブな岡田さんの代表試合はおもしろくなくて,今回のワールドカップはそのトドメだった.

残念に思ったのは,ワールドカップの舞台で,日本のパスサッカーがどれだけ通じるのかを見られなかったこと.デンマークでやったように,カメルーンやパラグアイ相手だったら,恐れずにパスを回して攻撃を作るという挑戦をしても良かったんじゃないかなと思った.強い相手とやった時だって,例えば,年明けにオランダとやった親善試合では,前半45分は何回もおもしろいパス交換からの攻撃が見られてた.それで大敗したって,それが世界との距離なのだから,よかったんではないかなぁ.

どんなサッカーをしたいか,それをどうしたらピッチで表現できるかってのが,サッカーに関わっている人の解くべき問題.ぎりぎりサッカーと呼んでもらえるアンチサッカーをして,勝ってもホントは何の意味もない.幸か不幸か,サッカーが唯一の希望というわけではない日本なら失敗しても致命的ではないし,それでいてサッカー選手をとりまく環境が悪くない日本では,経済的にも文化的にも挑戦できる余裕を持っている国だとおもうのだけど.アフリカ諸国や南米の中堅国よりはずっと勝つことのプレッシャーはなかったはずなんだけど,日本の文化である自分で首を絞める慣習にならってしまった.

閑話休息:
パラグアイやウルグアイが守備的なのは,大陸予選でサッカー大国ブラジルやアルゼンチンと戦わなければいけないからというのを言う人がいて,妙に納得した.南米には今回は出ていないけどコロンビアやエクアドルなどのそこそこ強い中堅国もいる.一方で北中米・カリブ海に属するメキシコ(17位,2010年5月)は,パラグアイ(31位,2010年5月)やウルグアイ(16位,2010年5月)と同じくらいの実力だと思うんだけど,大陸予選で強い相手はアメリカくらいで,しかも出場枠が3枠もあるんで,彼らの好きなパスサッカーをして勝ち上がれる.いつだったか,残り10分で負けているのに,ひたすらパスを回して,パワープレイに全く走らない.センタリングすらあげない.パスとドリブルで中央から崩そうとしていて,さすがにアホかな,と思っていたのだけど,徹底したパス回しで終了間際にゴールッ!とりはだがたった.僕のメキシコサッカーのイメージは,この印象が決定的になっている.

日本にも,あの時のメキシコのような試合をしてほしかったわけです.ただ,勝つためだけのサッカーをせざるを得ない要因があったのもわかる.日本には実力がなかったり,直前の親善試合でうまくいかなかったり,実利主義的な日本だとやっぱり勝ちを求める記者やサッカー関係者が多くいたこと,など,など.

あと,あの我慢強いサッカーをとても高いレベルでやったってのは,すごいことでした.11人全員が精度良く守備のバランスを考えて,それを忍耐だけで実行するようなサッカーを90分(パラグアイ戦では120分も),よくやれるなという感じでした.もともとはパスサッカーをしていた選手達が,割り切ってあの戦術を徹底したことは本当にすごかった.選手達のメンタリティはすごいなぁと.少なくともアフリカやヨーロッパの国では,あれはできない.

で,ベスト16に進んでみたら,その反響はすさまじく大きい.僕もデンマーク戦はうれしかったし(特に本田が翻弄して,岡崎が決めたゴールは!).何人かの選手は,ステップアップ(海外移籍)の機会を得られようとしています.グループ予選で敗退してたらこれはなかったから,勝てば次の可能性が大きく広がるんですよね(だからといって,勝つことを目標にするなんて全く思いませんが,僕は).

そして,日本代表の試合が終わってしばらくたった今では,さっきは「この延長に日本のサッカーはない」と書いたけど,もしかしたら,これを土台に日本の特徴的なサッカーができるのかもしれないと思いはじめてたりもする.最後の最後,中村憲剛を中心に攻撃的なドリブルとパスワークとを見せてくれたのが,希望でした.

てことで,次あたりは西野さんあたりが監督にならんかなぁ.

30人程度の小さな組織について,構成員として.


組織がうまくいかない時,
それを誰かの責任として語るのは賢いことじゃない.

組織の中にいる人がその組織を批判するのは,
第3者が批判するのとは影響がちがう.

なにか問題意識を持っているのなら,
その問題意識を,顔を向き合わせた公の場で,表明して,
共感してもらって,
自分がそれに対して何をできるのかを提案すべき.
他の人も何ができるのかを表明してあげる.
他人に何をしてほしいとかではなくてね.

(上の人は,公の場で問題意識を表明する人がいたら,
些細なことでもシリアスに受け止めるべきかな.)

それでもって,みんなが持ち寄って出てきたモノが
その組織の限界だから,それ以上は諦めること.
ただ一方で,持ち出したものを組み合わせれば,
大抵のことは何とかなるんじゃないのかなぁと思う.

ちなみに,できないことをできるようにするのは,
個人で勝手にする努力だから,他人が介入しちゃ駄目だと思う.
仕事の場で,できそこないを上の人がクビにしないのだったら,
それは尊重すべきで,誰かがとやかく言う問題じゃない.

(どんなに優秀な人員が集まっている組織にも,
その組織の中で最低能力の人間が1人はいて,
それを気にして追いやったとしても,
次に低い能力の人間が気になるだけではないかと思う.)

##

どんな良いシステムだって,構成する要素に不具合があれば,
うまくいかなくて,
要素の問題てのは小さな不具合だったりすると思う.
小さな不満を小さい内に解消する術を持っておくべき.

そういう点で,
組織とは独立に個人が対処できることは,
日常的にいろんなところで関係性を気づいておくこと.
所属している場所にしか友達がいないなんて場合,
所属している組織の不満がたまると,そのことばかり考えてしまい,
妄想が妄想を呼び,
あらぬ不満まで考えてしまう人もいるんじゃないかなと.

日常的に,自分の所属とは関係ない友人や家族がいれば,
不満なんて忘れてしまうし,
忘れてしまう程度の不満だったら忘れてしまった方が良い.

研究室を所属にしている学生なんかは特にそう.
一時的には24時間研究室にいる人もざらにいるだろうし,
数ヶ月間,家と研究室の往復だけなんて事もありえて,
いつのまにか研究室依存症になってる.
博士課程まで来ると,学部時代の友達なんかもほとんどいないから,
ちゃんと他での関係を見つけておかないと精神的にしんどい.
多くの小中高生みたいな状態ですな(←所属している組織が,家族と学校).

その組織に依存症なくせに,不満を持つのでたちが悪い.
さすがに知恵のついた大人なんだから,自分で何とかしましょう.

今,自分の身に,他人が笑ってくれないコトが降りかかっていたら,
少なくとも自分が笑えるまでは待ってから,言うようにしたらいい.
もしくは,スゴイ早い段階,深刻になる前の笑えるうちに誰かに言ってしまうのも手.

自ギャクにしても他ギャクにしても,
自分も含めて誰1人笑えないようなら,言わないのが賢明.
言うならヘラヘラ笑って言えばいい(それで軽薄に思われても気にしちゃいけない)

と常々思っている.了.