2008年10月17日金曜日

試験勉強の風景,国際化と英語

 
今日は医学部の生協食堂で遅い昼飯を食いながら論文を読んでいたら,やたらと神経科学の単語を連発する会話があちこちから聞こえてきて,何かと思ったら,学部生は神経科学の試験が近い様子.うちの研究室のスタッフも講師として関わっているわけですが,神経科学はちゃんとやっていないととれない単位だとか.みんなやけに真剣でした.3年ぶりに学部生がいる大学にいるので,みんなと食堂で勉強する,なんて風景が新鮮に感じました.

こっちは,会話が妙に気になって論文に集中できなかったですが...

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【2008年10月14日 日本の大学が国際評価で見劣りするのは 】
さて、日本の大学は国際的に見て何が劣っているのだろうか。最も目立つのは外国人スタッフの数である。もっともよい大学を100とした場合の指数で見ると、東京大学が27、京都大学が30、大阪大学が25、...

スタッフ当たりのサイテーション(論文被引用率)指数では、日本の上位5大学が、78、91、70、87、63と、世界のトップ5大学(100、98、 89、85、100)に対して、まずまず健闘している。「Peer Review」(同分野の専門家による評価)でも、日本の上位5大学が、100、 99、90、77、63と世界のトップ級ないしそこそこのレベルにあるのを見ても、足を引っぱっている要因が何かは明らかだ。
国際化している事が良い大学の条件なのかな.基本的には学術と教育が大学の評価基準だと思うのですが.

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大胆予言「ダメなら他で」 益川敏英さん座談会
「――受賞スピーチは英語でしますか?
 益川 どうして英語でやらんといかんの? 僕は英語はしゃべりません。英語でしゃべるなら遠慮します(笑い)。 」
海外に出た事がないと聞いた事がありますが,本当だったのかな..称讃するわけではないですが,日本の会議ですら英語で行われることも多くなってきた英語偏重の中,こういう方がいてもおもしろいと思っている.


 

2008年10月16日木曜日

今日は百万遍のあたりがすごい人混みでした.

 
「論文調査ワーキンググループ報告書」ならびに「意見書(杉野元教授)」を公開しました。(PDF)
分子生物学会のホームページで公開されていました.当事者の責任や処分についてより,自分も研究者の端くれとして不正の原因については自覚的でありたいなと思っています.不正や不祥事は,意図していないのに起きてしまう事があると思いますから,その時は意図的に防ぐように対策しないといけないと思っています.研究の不正に限らず,意図せずに起きている不祥事,結構多いように思うのですよね.


校正記号表
JIS規格で決められた校正記号ってのがあるんですね.というより,これまで見てきた校正記号がJIS規格だとは知らなかった.只今,科研費申請書作成中.


 

2008年10月10日金曜日

無意識に過ごしているかもしれない普通

先週までの1ヶ月くらい,学術会議などに出た事もありますが,いろんな人に会いました.新しく友人になった人や古い知人にも.

研究室での人間関係だの,友人関係だのは精妙なシステムのバランスの上にあったりします.グループでつきあいのある友人達だと,中にうまくバランスをとっている友人がいたりするものです.時に,関係が悪くなりかけたりしたときなどは,そのシステムを意識して維持しようしなければ改善しようがなかったり...長らく会っていない友人達ではそれぞれがだいぶ変わっているので,ギクシャク,どぎまぎ,昔のように気のおけない仲間には戻れない事もあったり...仕方ないですね...

ところで,上記の事を考えていたら,視覚の事に連想が.

視覚は,視覚以外でもそうですけど,普段は無意識に見えているもんだから簡単な事のように思えるけれど,思うほど簡単なシステムではないはずです.視力検査で計測される所謂(いわゆる)「視力」があるのは視野の中心2度くらい(手を前に伸ばして指1,2本の幅くらいの視野角)で,10度も離れるとその10%程度しか見えていません.そうすると,見てから動き出すまでにコンマ数秒の遅れがある人の視覚眼球運動系では動いている物を追うには致命的な遅れになるので,予測が必要であったりします.また,視野の中心以外は急激に見えないので,サッカード(飛び飛びにうごく眼球運動)なんかした時には,世界は断片の集まりに見えてしまうはず.でも,心理的には,連続的な世界が普通に見えてます.網膜からの視覚入力がそのまま認識されるのではなく,うまく補完されているということです.僕がやっている事は基礎研究ですが,研究者でない方でも,この辺の話しをするとおもしろがってくれます.

まぁ,おもしろがってくれないこともあります.眼球運動の研究をやっていて初めて発表した会議の懇親会で,どこだかの医学研究者(その方はたぶん病理が専門だったのでしょう)に,「別に予測なんて無くても目で追えるでしょ,ほら,僕,見えるもん.」と言われて,苦笑するしかなかった記憶がありますが(内心,話しの通じなさにちょっとショック,唖然...).でも,脳で行われている計算処理がいちいち意識にのぼらないというだけで,システムは働いています.

人間関係と視覚のアナロジー(類比)では飛躍しすぎですが,そんな連想が僕の頭でされました.普段意識しない事にもシステムが働いていることはあって,それを知っておく事はおもしろいし,治す(直す)ためには必要だったりします.
 

2008年10月8日水曜日

論理的誤謬,思考の過程

ある命題,
  1. コインを投げて表が出る確率0.5,裏が出る確率0.5だとする.
  2. コインを投げて2回連続で表が出る確率は0.25となる.
  3. よって,次にコインを投げた時に表が出る確率は0.25以下となる.

これ,3の文がまちがいなのですが,...3回目でコインの表が出る確率は0.5です.

僕は,最初,ただただ直感的に3がおかしいと感じました.その後に,「試行(コインを投げる事)の独立性(現在の試行が過去,未来に依存しないで決定する)」,という理由が頭に浮かびました.

今日の朝,大学にくるまでの歩いている時になんで「直感的」におかしいと「感じた」のかなと,しげしげと考えてしまいました.「直感的に感じる」,ほとんど反射的におかしいと思えたわけです.なんでかなぁと.基本的に,論理的に考えなくては,「おかしい」とは思えないことなのですが,意識的に考えることなくおかしいと思えたわけです.往々にして,まちがいや違和感に気つく時は,その理由よりもその感覚が先に意識にのぼるという気がします.後から,理由を探しに思考する.

時に,違和感を感じながら,その理由が見つからなかったりするのですが.今回の場合,「試行の独立性」という理由が見つからなかったら,もしくは「試行の独立性」だけではわからない人がいたら,僕はどういう説明をしたのだろうとも考えていました.たぶん,確率を計算するのだろうな.

2回連続で表が出る確率:
 P(H, H) = P(H)・P(H)
       = 0.25
3回目で表が出る確率:
 P(H | H, H) = P(H, H, H)/P(H, H)
       =P(H)・P(H)・P(H)/P(H)・P(H)
       =0.125/0.25        
       =0.5

やっぱり3の文が間違っていて,上記の命題は論理的におかしい,となり...間違っている事は,直感的にわかるのに,それを説明するのにはここまでしなければいけない.


追記,
一応,...
表が出る確率 P(H) = 0.5 ,
「・」は乗算記号,「/」は除算記号,
P(A, B)はAとBの同時確率,
P(A|B)はBが起きる条件下でのAの確率,条件付き確率,
P(A|B) = P(A, B)/P(B).
 

理論からの予測

ノーベル賞の物理学が発表されました.

受賞者の内2人については,数十年も前に発表した理論研究がその対象のようです.その理論的予測が2002−2003年に行われた実験で実証されて,今回の受賞になったそうです.理論から予測する,というのは何となくかっこ良く思えます.

ちなみに,受賞者の2人は日本の方です.アメリカの方も日本出身で日本の学術的系統を引き継いでいる方ですね.物理をきちんと勉強していない僕ですらお名前を聞いた事のある方々でした.