2009年7月31日金曜日

計算論かもしれない与太話

与太話.

ふとつけたTVで,子供の学力が低下していて,それはゆとり教育が悪いとかどうのという話題の議論.それを見て「日本の社会(環境)が学力を必要としていないのでは」とつぶやく人あり.僕はそれを聞いてなるほどね,と.

ヒトが環境に適応して生きているとすれば,学力低下も環境適応の結果であって,勉強のさせ方や仕方が悪いと言うよりも,日本というのは学力が求められていない環境なのでは,と.

そんな話をしていたら,案の定,子供に行った国際的な学力テストを今の大人にやらせたら,他の国に比べて悪かったという結果が出てきた.一時は隆盛を誇った我が国ですから,その大人達が子供当時はトップクラスだったのに.大人になるにつれて学力が低下したってことですね.

学力が何かというのは僕にはわからないのですけど,少なくとも行われている学力テストで試される力は,日本の環境では必要とされていない,ということではと思ったり.逆に言えば,学力を必要とする環境があれば,必然と銘々が工夫して学力をのばすようにがんばるのではないですかね.学力で評価されるような環境を整備する必要があるのではないかな.計算理論のレベルでの解決とでもいいましょうか.

TV番組では,その後も子供への勉強のさせ方を議論が続いて,「アルゴリズムと表現」のレベルでの話でした.環境がなかったらはじまらないと思うのですが,どうでしょう.

僕なんかは,企業の人に言わせれば社会を知らない人間って事になるのかもしれませんが,そんな社会は知らなくて良かった〜.

いや,ウソです.皮肉を言っても建設的ではないですからね.

TVでは,学力=国力だから学力は伸ばさなければいけないという議論でした.僕には学力=国力かは知りませんし,国力が上がることが良いことであるかも知りませんが,こういう世界で仕事をしているので,学力に価値を置いてくれる環境の方がありがたいことは確か.

日本の学力低下について計算論的かもしれない与太話でした.
 

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