2009年7月8日水曜日

高眼

 
私が大学の教養課程のときに数学の先生がこういうことを言いました。「高眼手低(こうがんしゅてい)」。目は高いところにいつもおいて、具体的な仕事をするときには手は低くおく。私のこの言葉の使い方は本来の意味とは違います。本来は、他人の仕事を批評するときには目は高いが自らの業は低い、ろくな作品を書かないことを皮肉った中国の言葉です。「しかし」と言って私の先生は、「仕事をするときは高い目標を掲げて、着実にできることからやっていきなさい」と言いました。その意味でも「高眼」ということに重点があって、下のことをやっていても自分の目標はここにあるのだ、それに向かって努力していくのだということが大事です。(中略)そういう意味でみなさんも目標は高くもち、それを絶対に下ろしちゃいけない。苦しくても、自分の目標はここにあるのだということを置いて、着実に仕事をしていく。これを私は非常に重要なことだと思っています。
『科学にときめく ノーベル賞科学者の頭の中』
(益川敏英/かもがわ出版)

  • 低眼手低.自分の研究にしか興味がなく,その研究以上に話しが発展しない.
 低眼.研究をやっていると,小さな世界だとしても,その作業や議論はなかなか楽しくて,慣れてしまうとそれも良いかなと思ったりします.一方で,何の気まぐれか,たまに俯瞰してみると,自分のやっていることが小さすぎて嫌になる.なので!?自分の研究がどう発展するのか(というより,どういう発展を目指して今の研究をするのか)を考えています.
 手低.僕がやっている研究は,電気生理学の方から見れば手高で,理論の人から見れば手低と見られるような気がする.おそらく.


  • 高眼無手.検証方法もないのに,大きなを研究を志す.
こういうのもありますね.研究を1年もやれば,実証したい事と研究上の制約にあるへだたりは身にしみてわかりますが,下ろすのは手だけにしなさいというのが益川さんの主張でしょうか.僕の高眼は,脳で行われている情報処理が全てわかったあとの風景を見てみたいということ.それを下ろさないように.とりあえず.一方で,無手では科学にならないので,何かを手がかりと決めて行動することも科学に必要なことなのでしょうね.あたりまえか.

それにしても,脳科学は膨大な知識の蓄積があると思いますが,それらがつながる気配はほとんどないですね(←他人事な感じに聞こえるのは嫌ですが.自分事として).

ちなみに,僕には本来の意味が適用されますが,とりあえず気にしない体(てい)でいく.

PS.
上記の本は引用した部分しか読んでいない.
 

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