私が大学の教養課程のときに数学の先生がこういうことを言いました。「高眼手低(こうがんしゅてい)」。目は高いところにいつもおいて、具体的な仕事をするときには手は低くおく。私のこの言葉の使い方は本来の意味とは違います。本来は、他人の仕事を批評するときには目は高いが自らの業は低い、ろくな作品を書かないことを皮肉った中国の言葉です。「しかし」と言って私の先生は、「仕事をするときは高い目標を掲げて、着実にできることからやっていきなさい」と言いました。その意味でも「高眼」ということに重点があって、下のことをやっていても自分の目標はここにあるのだ、それに向かって努力していくのだということが大事です。(中略)そういう意味でみなさんも目標は高くもち、それを絶対に下ろしちゃいけない。苦しくても、自分の目標はここにあるのだということを置いて、着実に仕事をしていく。これを私は非常に重要なことだと思っています。
『科学にときめく ノーベル賞科学者の頭の中』
(益川敏英/かもがわ出版)
(益川敏英/かもがわ出版)
- 低眼手低.自分の研究にしか興味がなく,その研究以上に話しが発展しない.
手低.僕がやっている研究は,電気生理学の方から見れば手高で,理論の人から見れば手低と見られるような気がする.おそらく.
- 高眼無手.検証方法もないのに,大きなを研究を志す.
それにしても,脳科学は膨大な知識の蓄積があると思いますが,それらがつながる気配はほとんどないですね(←他人事な感じに聞こえるのは嫌ですが.自分事として).
ちなみに,僕には本来の意味が適用されますが,とりあえず気にしない体(てい)でいく.
PS.
上記の本は引用した部分しか読んでいない.
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