2009年7月16日木曜日

会話の方法,ヒト関係

To be or not to be

年下からも呼び捨てにされ,ののしられ,たまには褒められる.

大学での部活,サッカーの試合中に起きていたこと.試合中はめまぐるしく状況が変わるから,先輩だろうが後輩だろうが呼び捨てとか短いあだ名で呼ばないと,間に合わない.みんな試合に勝ちたいので,呼称なんてのは些細なことでした.端的にお互いの要求を主張して,どうするか決定する.コミュニケーションがとっても端的でした.

お互いに実力は見ればだいたい分かるから,イイ格好しいの必要もないので,取り繕ったことを言う奴もあまりいなかった.わがままな奴はわがままに振る舞って,当人も周りもその認識を共有していて,なので,周りがあけすけにそいつのわがままを指摘しても気まずい感じにならない.こっちが言いづらくて,いちいち鬱々としたものを抱える必要もなく楽.当人は悪いとは思いながら開き直っている面もあるのですけどね.

運動だと実力=発言力だったりしますが,今の実力が逆転する可能性があることもみんな知っているし,見下して話を聞かないなんてこともあまりなかった.自分が言いたいことを言って,相手も言い返してくれるというコミュニケーションの方法は想像以上に楽でした.こちらは凹んでも元に戻れる自信があるし,相手を凹ませても元に戻ってくれる安心感がありました.それが当たり前だと共有できていれば,意外と風通しの良いものです.

ということで,言わないことでの弊害よりも言うことでの弊害の方が小さいというのが,僕の経験則.

とはいえ,1回言いだせないことで悪循環にはまることも.相手のことをよく知らないと,そんなコミュニケーションを強要していいか相当に迷うことも.
 

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